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12/09木の思ったこと(愛がひとりぼっち)

働いて、なぜ病むのか


働いて何故、精神を病むのか僕なりに考えた。若い頃からずーっと思っていた。
過労死って言葉がある。本当に嫌いな言葉だ。


僕のばあい

僕は10年くらいに前に池袋のSIerで、一兵卒のSEとして泥沼のプロジェクトで働いた。
トータル2年くらいだった。
月の稼働時間は、3か月でおそらく1,000時間を超えたと記憶している。
最大の月は、410時間くらいまで稼働が行ったと思う。


平日は、終電がなくなりタクシーで帰った。
泊まってもいいとよく言われたが、頑なに帰った。
土曜日は、基本的に出社で、もちろん深夜まで。


数多く居た他のBP会社は逃げだしたし、実際に最終的はBP誰も居なくなった。
軽い気分で、下っ端から潜り込んで、最終的にはチームリーダーや重役連中と
直接会話するにようになった。
自分でも、こんなリスク取って良くやるよなーと思った。
最終的にそのプロジェクトは、失敗に終わった。変な言い方だがちゃんと裁判沙汰にもなっていた。
逆に僕は、よって立つ居場所を見つけた気がした。


一般的に、過労死のラインは月80時間と言われる。
僕は、ピーク3か月は平均150時間くらいは働いた。
しかも元々、離婚後1~2年目でメンタルもズタボロだった。
それなのに過労死やメンタルは全く問題なかった


なぜか

なぜか?
それは働いた分を、報酬としてちゃんと貰えたからだ!
サラリーマンじゃない僕は、上限知らずで残業代を
ちゃんと請求し、満額頂いたからだ!
勿論額面は言えないが、田舎者の僕からみたら夢のような金額だった。
請求して本当に振り込まれるかどうか、ドキドキだった。
報酬日当日に預金残高を確認した、本当に振り込まれていた!
それ以降、どんなにシンドイ、面倒なものを振られても、
心の奥で「チャリーン、毎度ありがとうございます。」と誰かが囁いてくる!
そうやって馬車馬のように働いた。


若い時に勤めていた会社は、まず残業申請が認められることはなかった。
もう首になっても良いやと、半分切れ気味に申請した時は、上司にも驚かれたし、
何より同僚に「ぶんぶん、残業代を申請したってよ!」と噂になった。
懐かしく、悔しく思い出した。


関係ないが、今聞いているYoutubeの動画BGMです、もう最高!!

11 - Touch - タッチ - Ai ga Hitoribocchi ( Love is Always All Alone - Opening Theme 2)


辛抱と我慢はちがう

この言葉が僕は、一番しっくりくる。
要は、インセンティブなんだと思う、病んで会社を辞める人はいくらでも見てきたが、
辛い仕事に見合うだけの対価があれば、何とかなったんじゃないかと思う。
もちろん何年も何年も、アクセル全開で働けるわけじゃないが、
ちゃんと自分の体力の残量を確認しながら、しっかり稼げれば、未来の夢を想像できる。


だから、僕の様な駄馬の方は、少しでもスキルを磨いて
インセンティブのある会社に潜り込むか、独立するかを考えて欲しい。
給料と売上報酬は、根本的に違うもの。
その時の経験と人脈で今があります。その話は、またの機会にさせてください。


ちなみに、その3カ月間の稼ぎで、嫁さんの婚約指💍💎を奮発することになってしまう。


今日も、最後までお付き合頂き、本当にありがとうございます🐶

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