目指すものにたどり着きたい。

自分のために何かを呟きたいです。投資や投機もちょっと。

12/25土の思ったこと(自分のこと#6)

結婚生活・子育ては、僕は難しかったです。


そんなこんなで、23の冬に一度目の結婚をしました。
4つ上の人で、彼女は誕生日を過ぎていたので23歳と、28歳の結婚式でした。
当時田舎者の僕は、結婚するのは人として普通のことであり女性は25前後で結婚するもんだと思っていました。
だから、これ以上この人の20代を僕が占拠するわけにはいかない、いっそ分かれるかどうするか悩んだ結果一緒にいることを選びました。
地元の結婚式で、寒かった記憶があります。


結婚して2年半後の26の秋、第一子が女の子が誕生しました。
もちろん忘れられません。立ち会って出産しました。
人の親になった実感がわかず、本当に焦りました。
そして3年後の冬に、第二子、男の子が誕生しました。
しんしんと雪が降っていました。もちろんとても嬉しかったです。


仕事も、家庭も大変でしたけど、長女が小学校3年生くらいは穏やかな日々が続きました。
そして転機が訪れたのは、運動不足な僕の趣味としてバドミントン🏸を始めたことでした。
学生時代にまったくやったことのないスポーツに、僕は魅了されました。
運動音痴の僕には、とてもハードルの高い競技でした。
でも自分の余暇は、ほとんどすべて注ぎ、初心者は卒業できるくらいになりました。
そしてとあるサークルでプレイ中にお会いした方から、お子さんがジュニアチームで活躍している話を聞きました。
僕も子供と出来たら楽しそうだなと、軽い気持ちで持ち帰りました。。


長女が例のジュニアチームに見学に行き、入会することになりました。
今にして思えばきっと彼女は、父に喜ばれたかっただけだったと思います、、
残念というか予想通りと言うか長女も運動神経が悪くとてもじゃないけど、競技バドミントンは、非常にハードルの高いものでした。
もちろん初めての試合は、まったくプレイさせてもらえず現実の厳しさを知りました。
ここで適当に親子共々諦めれば、楽だったのですが、「努力すれば何かを得られる」みたいな間違った教育のようなものをしたくなり、親子で励むことになります。


そこからは、僕は素人なのに親子で練習の日々が始まりました。
年長さんくらいからは、長男も加わり毎日のように頑張りました。
気持ち、時間、お金も全て注ぎました。
おかげ、県の大会では二人とも学年別として勝てる様になりました。
だけど、きっとこの頃から無理しすぎていたんだと思います。
才能もないのに頑張りすぎさせすぎたんだと思います。


そして仕事での新天地を求め、一家で上京し新しい生活が始まりました。
長女は、数駅先の私立の中高一貫校にスポーツ特待生として、長男は地元ではない片道1時間半以上かかる名門ジュニアチームに入部しました。
そこで、田舎とは全く異なる環境、次のステージで更に苦しい重いさせてしまいました。
長女は、特待生としての振舞や結果そして中一年生としての後輩の立場もありました。
長男は、これまでお山の大将だったのが全く歯が立たない相手ばかり。
僕も、東京での仕事は激務で精神的に状態が悪い日が増えました。


目いっぱい頑張っても、上手く行かず家族の心はバラバラになりました。
妻から、もうやってられないと別れを告げられ受け入るしかなかった。
本当に悪いことをした、今は謝ることもできなくなった。。
目的と手段が逆転してしまったのかな。

30台最後の、夏でした。

×

非ログインユーザーとして返信する