目指すものにたどり着きたい。

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ぐうの音も出ない、正論

前にも軽く紹介したかもしれませんが、思い出して改めて文字にしてみました。
以下、12大戦の作中の"牛の戦士"のセリフです。

「まず、正しいことをしようとするだろう?」言って、鞘にしまったサーベルに手をかけた。「次に、正しいことをする」鞘から刃を、居合のように抜いた。「以上だ」①正しいことをしようとする。②する。


「わかったかね?つまり、正しいことというのは、しようと思わなければ、できないということなのだがね」

「人は、なんとなく、間違う。流れにそって、悪へと堕ちる。理由もなく、思想もなく、思い切りもなく、気付いたときには、当たり前のように、『道』を誤るものだ。しかしね、それに相反して、『気付かないうちに正しいことをしていた』とか、『いつのまにか善行を働いていた』とか、『うっかりいいことをしていた』とか、そういうことはないーー絶対にない。意志がなくては正しさはない。正しい行動には、正しい意志が不可欠なのだ。正しいことは、しようと思わなければ、できないーーもしもきみが正しいことができなくて苦しんでいるのだとすれば、それはきみが、正しいことをしようと思っていないからだ」


「正しいことを、しなくていい理由はいくらでもある。迷う材料は山ほどあるし、不安材料も、売るほどある。人のせいにするのもいいし、社会のせいにするのもいいだろうーー時代のせいにだって、運のせいにだってできる。だが、正しいことをしていない人間は、できないのではなく、やらないだけだということを、自認すべきだがね。きみもまったく、無理に正しいことをしなくてもいいが、それは、できないわけではなく、やらないことを選んだのだということを、ゆめゆめ忘れぬことだ。正しき者はみな、①すると決めて、②する。きちんと段階を踏むことだーー①の段階にいながらにして、②を悩むのは、愚の骨頂だがね」

「うっかり正しいことはできない」か。
僕には到底できない精神構造の考え方だと思いました。


人は何となく、自分は良い人間で正しいことをしていると思いがちかもしれません。
というか、正しいも何も行動あまりしていないかもしれませんね。
取り組むことの大小はあれでも、自分の体を動かす支配者は自分以外はいないはずです。


「正しいこと」を「痩せること」や「金持ちになること」など自分なりに変えても何となく通じるものがあるなと。


どうやったらこのように少しでも、願っていることと実践していることの差を縮めれるか。
そもそも理想や正しいこと考えなければ良い気もします。
でもそれじゃあ、お寂しい人間になってしまう。
結局はその辺の、自分の身の丈を感じながら心のバランスを取らなきゃと思います。
正論ばかりじゃ自分が持たないかもしれませんし。


ともかく暑かった今週も、そろそろ終わります。9月いきなりの週末です(^^♪
週末①何しようと考える、そして②する。
まずはここから始めたいと思います🐶

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